鈴木宏和の人生 VOL.2経営観のベース
JAL再生プロジェクト

とても幸せな体験

この国を代表するような企業再生

銀行を退職した後、KPMG FAS(Big4と呼ばれる国際会計事務所)で14年過ごしました。KPMGに転職したのが2001年。産業再生機構ができたのが2003年。 不良債権の処理から、当時「企業再生」という言葉ができはじめたタイミングでした。 産業再生機構の大型案件を含めて、いくつもの、この国を代表するような企業再生やM&Aなどに携わりとてもやりがいある時間を過ごしました。

中でも一番印象に残ってるのは、JALの再生。 あれだけの規模の1兆円企業が、会社更生のタイミングで、稲盛和夫さんという稀代の経営者によって本当によみがえったということですね。

超官僚的組織で、小説『沈まぬ太陽』を地で行くような会社でしたから。 この国にとってもすごく意義がある仕事だったと思うし、財務アドバイザーの現場責任者として、1年2か月に亘って一緒に歩むことができたという事は、自分の経験としてもとても幸せな体験でした。

経営者の在り方

変わらない組織は無い

稲盛さんは経営会議で、経営陣をど叱っておられましたが、緊張感はあるけれど不思議と微笑ましい時間でした。 稲盛さんの経営は本当に素晴らしく「人として正しいこと」が経営戦略の柱で、その軸は絶対にブレない。それによって人の意識を変えていく、組織をよみがえらせていく過程を目の当たりにしました。 初年度から営業利益1,860億円の最高益ですから、まあスゴイなと「自分には同じことはできないな」と感じました。

最も官僚的組織と言われていたJALが変わったわけなので、変わらない組織は無いと僕は思っています。人そして組織の可能性について考えさせられた体験でした。

稲盛さんは「人間は心のありようによって全てが決まる」「人生も経営も自分の心の反映」と説かれています。 僕も組織の経営は、リーダーである経営者の在り方が最も大切だと考えています。経営の本質とは何だろうか?と常日頃から思いを巡らせ、今でも、ふと立ち返って「稲盛さんならどう考えるだろうか?」と考えることは多いですね。

直前に起きた3.11

アドバイザーとして、これ以上の成功はない

僕自身がJAL再生にアドバイザーとして関わったのは、会社更生を申請してから、更生計画を裁判所に提出し、リファイナンスによって会社更生を抜けるタイミングまでの1年2か月でした。

そんな区切りをむかえる直前に、3.11そして東京電力福島第一原子力発電所事故が起きました。 上場に向けてJALに来てくれないかという誘いも頂いていましたが、KPMGという国際会計事務所として、JALの上場に関するビジネスと、電力業界におけるビジネスということを考えると、 今後再編が進むと思われる電力業界におけるビジネスの方が大きいだろうという判断もあって、電力業界の再編に関わることにしました。

JALの再生を通じて、企業再生の仕事には満足していましたし、アドバイザーとしてこれ以上の成功はないんじゃないかなと感じていました。同時に「違うことをやりたいな」という感覚も持ちました。

電力業界の再編
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